この章は、マキアヴェッリの生きたイタリアの状況に関して述べた章であるが、混乱を極める組織すべてに通じる考えがあると私は考える。
【現今のイタリアにおいて新しい君主が名誉をあげる好機が到来しているかどうか、そして思慮ある有能な人間がある制度――それはその導入者に名誉をもたらし、またイタリア人全体に幸福をもたらすことになる――を導入するのに好ましい状況が存在しているか否か】という問いに対して、マキアヴェッリは、
【私には万事が新しい君主にとって非常に好都合に進行しているように見え、君主にとってかつてこれほど望ましい時勢があったとは思われないほどである】と考えている。
なぜなら、マキアヴェッリの生きた時代のイタリアは混乱を極めている。だから、
【人々が、この蛮族の残酷さと傲慢ぶりとからイタリアを開放してくれる人物を遣わすよう神に祈っている】という。したがって、
【さらに誰か一人が旗挙げをすればそれに従う心構えができている姿を見よ】ということになる。
そもそも、このマキアヴェッリの時代のイタリアは
【旧来の制度が良くなく、新しい制度を見出せる人に恵まれなかったからである】。それゆえ、新君主に期待することは大きいのである。
【新しい法や自ら見出した新しい制度を定めることほど、新たに台頭した人間に名誉をもたらすものはない】。だから、混乱を極めているイタリアには、
【これまで外国の侵入に苦しめられてきたこの地域においてこの救世主がどれほどの熱愛を持って迎えられ、どれほどの復讐への渇望や断固たる忠誠心、献身、涙をもって迎えられるかは筆舌に尽くし難い】というのである。
そのためには、
【なによりもまずすべての事業の基礎である自己の軍隊を整備することが必要である】というのだが、マキアヴェッリは、
【いったん軍隊が問題になると、このような優越性は影をひそめる。すべては指導者の弱さに原因がある】と指摘する。当時のイタリアの軍隊は、
【頭部に力が欠けていないとしても、四肢には非常な力が見られる。決闘や少人数の戦いを見るとイタリア人がその力、敏速さ、才覚において他の民族にいかに優越しているか明らかである】といい、問題は指導者、すなわち君主の問題であると考えている。
この章をマキアヴェッリの生きた時代のイタリアのことであると考えることもできるが、混乱している国・組織、すべてに共通することであると私は考える。ここで出てくる「イタリア」を自己の国・組織に当てはめれば、共通して使えるはずである。
その方法を中国春秋時代に当てはめると、たとえば、秦始皇帝の統一に繋がってくと思う。
中国全国で国境により国が分断され、度量衡もばらばらという状況において、戦争は頻発し、経済もまとまらない。
そうなると、統一国家という新たな仕組みが必要であるが、実現したのは始皇帝が最初であり、以後、始皇帝がモデルとなって中国の国家は動いている。
また、法鼎・刑鼎を鋳込んだときには、当初は反発もあったが、結局は国家統治に必要なものであったと迎え入れられている。商鞅や呉起の変法なども、当初は反発されているが、最終的には国家統治に必要なものであったとして、認知継続されている。
混乱を極めている状況では新制度・新君主は迎え入れられやすいのだ。
その他。
【必要やむを得ぬ場合の戦争は正しく、ほかになんらの望みがない場合武器もまた神聖である】参考文献
『君主論』 ニッコロ・マキアヴェッリ 佐々木毅・全訳注 講談社学術文庫『史記』 小竹文夫・小竹武夫 ちくま学芸文庫『春秋戦国人物辞典』 小出文彦・瀬戸慎一郎 新紀元社作成:09年02月17日